今日は初めてのソロキャンなのでおそらくメジャーである長野に行こうと思う。
車を走らせて1時間ほど経った頃、大事なことを思い出した。。
「テント……忘れた。。。」
まぁいいだろうキャンプというのは自然と触れ合うものだとかつての私が言っていた気がする。
テントを持たず、地べたに寝た方がより自然を吸収出来るというものだろう。
気づいてから30分経っただろうか、やっとキャンプ地に着いた。
やはり、テントはみんな持っているようだ。
「やっぱり、欲しいなぁ。」
借りられないか私はキャンプのレンタル屋に寄った。
「すみません、、テントとかって借りれませんかね、、。」
するとなんと二つ返事で無料で貸してくれると言い出した。
日頃の行いが良かったのかな?きっとそうだ。ここで断るのも野暮だ、素直に甘えさせてもらおう。
そうして私はテントを借りた。
テントを建てる場所を探していると水面が私を追いかけてきたんだ。

水面が追いかける

これは歓迎しているのか怒っているのか私には分からなかった。
水面の言葉が理解できなかったのだ。ここでかつて英検準1級に挫折したことを改めて後悔させるとは、。
「言語を学ぶって大切なんだな。」改めて知った。
「まぁここでいいだろう」そう思える場所を見つけられた。
元々無かったテントをすぐ建てるのもなんか気が引けたため、1回土の上に横になった。
また改めて知ることが出るなんて。「土は冷たい。テントは敷くべきなのだ。」。そうして私は今日はたくさん知ることができてお得だとか思いながらテントを建てた。

もう9時か。この暗闇の中でテントを建てるなんて我ながらよくやったものだ。この才能をキャンプ以外にも活かせないものか。
そんなことを考えていると「あれは誰だ?」なんか1匹の小熊がやってきた。

自然に生きる熊


カップラーメンが欲しいと言っている。水面と会話を試みたせいか自然と私には分かるのだ。
小熊にちょっかいを出すと母親が怒ってくるという話もあるがこれは例外だろう。
なんせ熊助けだ。恩が仇で帰ってくるほど捨てた世の中ではない。
そうして僕が食べかけのカップラーメンをあげるとそのまま帰っていった。
なんだか熊を見てるとなんだか人が恋しくなってきたため私は山の麓に見える街を見下ろした。

合理化された社会

私もあの人たちと知らないところで関わっていて支えられているのかもしれない。
そう思うとどこか悲しく嬉しい気持ちになった。

起きた。

いつの間にか寝ていたようだ。
「やはり自然の安眠効果というのは凄いな」いつのまにか私のホモ・サピエンスの血が自然を懐かしんでいたのかもしれない。
そろそろ現代の私の血が大都会を求めているため、帰ることにした。
車に乗りかけた私は大事なことを思い出した。
「テントだ、テントを返し忘れていた。」そそくさと借りた小屋に駆け足で向かった私はハッと息を飲んだ。
「小屋が、、、無い。」
地球温暖化は小屋を生き物に変えるのだろうか。それはそれで面白いのかもしれない。
きっと借りたテントも元は小屋の1部だったんだ一緒にこの場から消してあげるのが生き物の先輩としてやるべきことだろう。そんな合理化を自分なりに行いながら私はテントを持ち帰った。

「ただいま」
久しぶりにそう言いたくなった。やはり私には文明社会が向いている。そう改めて実感したからだろう。
私は借りていたテントに忘れていたテントを見せてあげることにした。
「あれ、居ないやん。」あいつは『失くしたテント』に2階級特進した。
借りてきたテントを見て私は聞いた。「この世では共食いが流行っているのかい?それも見えないところで間接的だなんて、、随分な世の中だね。」
すると借りたテントが床に落ちた。
私が落としたのではない、あいつが動いたんだ。そして見せてきのだ。「私の名前が書かれたタグ」を。
そういう事だったのか、、借りたテントは私のものだったのだ。
笑えてしまう。これは嘲笑だ。自分に対する釘刺しなのだ。私は文明を信じきっていたのかもしれない。
私はテントを忘れてもどうにかなってしまうのだろうと心のどこかで信じきっていたのだ。
きっと小屋の親父はそんな私の考えを、忘れたテントを持ってきて私に貸してやることで合理化してくれていたのだろう。
いや、、そうだった、合理的な社会などあるはずがないのだ。
こうしてまた私は1つ過ちに気付いた。